主はまずユダの幕屋を救われる。これはダビデの家の光栄と、エルサレムの住民の光栄とが、ユダの光栄にまさることのないようにするためである。
主はこう仰せられる、 見よ、わたしはヤコブの天幕を再び栄えさせ、 そのすまいにあわれみを施す。 町は、その丘に建てなおされ、 宮殿はもと立っていた所に立つ。
すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。
そしてこれは、その日に廃された。そこで、わたしに目を注いでいた羊の商人らは、これが主の言葉であったことを知った。
すると彼はわたしに言った、「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。
その日には、 わたしはダビデの倒れた幕屋を興し、 その破損を繕い、そのくずれた所を興し、 これを昔の時のように建てる。
万軍の主はすべての栄光の誇を汚し、 地のすべての尊い者をはずかしめるために これを定められたのだ。
わたしをののしる者は敵ではありません。 もしそうであるならば忍ぶことができます。 わたしにむかって高ぶる者はあだではありません。 もしそうであるならば身を隠して 彼を避けることができます。
わたしは祈ります、「わが足のすべるとき、 わたしにむかって高ぶる彼らに わたしのことによって喜ぶことを ゆるさないでください」と。
わたしの災を喜ぶ者どもを ともに恥じ、あわてふためかせてください。 わたしにむかって誇りたかぶる者どもに 恥と、はずかしめとを着せてください。
もしあなたがたが、 まことにわたしに向かって高ぶり、 わたしの恥を論じるならば、
しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。
愛する兄弟たちよ。よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたではないか。
そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。